大脳皮質の神経回路 1.はじめに  中枢神経系の最も重要な機能が大脳皮質に存在しているということについては多く の神経科学研究者の見解が一致するでしょう。認識・感情・思考・意識・記憶など、 科学的な立場からしても未だに神秘的に見える機能を顕現している大脳皮質がいった いいかなるデザインを用いているのか、この講義で論じてみます。 2.大脳皮質の外観  まず、実際の神経系について御存知ない人も多いでしょうから、ざっと中枢神経系 の外観を紹介します。ヒトの大脳皮質は(報告によって違うのですが)およそ26億 から230億の神経細胞(ニューロン)から出来ていて、400平方cmほどに拡が る 1.5 から4 mm の厚さの薄いシートとして拡がっていまして、それが折り畳まれて 頭蓋に収められています。前頭葉・頭頂葉・側頭葉・後頭葉・辺縁皮質などに分けれ れていますが、さらに Brodmann などによれば、50余りの領域(area)に分類され ています。こうした、細かい領域がそれぞれあるユニークな機能を司っていると考え られています。また、これらの領域はさらに分割されて、機能単位であろうと考えら れる離散的なカラムと呼ばれるモデュールから構成されていると考えられています。 ただし、大脳皮質のそれぞれの領域が機能分化しているとしても、それぞれでまった く独立の作動原理を持っているというわけではなさそうで、その構成要素と構築(デ ザイン)についてはどこをとっても共通のものが認められるということがありますの で、何らかの大脳皮質全体に一貫した基本作動原理が存在するであろうと考えられます。 3.大脳皮質の構成要素:ニューロンの種類  次に、構成要素であるニューロンにはいったいどれほどの種類があるでしょうか? 従来は、形態的な分類が主として行なわれておりまして、錐体細胞と非錐体細胞とい うのは形態的な名称です。非錐体細胞にはその形態から機能が推測されるようなもの もありまして、Basket cell, Chandelier cell, Martinotti cell など非常に多彩で す。最近になって、ニューロンが発現している蛋白質・ペプチドなどを検出すること によって、興奮・抑制などの化学的な性質をもとに再分類が進みつつあります。蛋白 質・ペプチドなどに対する抗体を用いた免疫組織化学的手法がこの再分類を可能にし ています。錐体細胞と spiny stellate cell は興奮性のグルタミン酸作動性のニュ ーロンでして、無棘性の非錐体細胞はGABA作動性の抑制ニューロンであることが判明 して来ました。後者のGABAニューロンはさらに大まかにいって3つの細胞群に分かれ まして、 (1)Parvalbumin 陽性の Basket cell と Chandelier cell。電気的には Fast-sp iking cell。 (2)コリン作動性であったり、vasoactive intestinal polypeptide, calretinin, corticotropin releasing factor, cholecystokinin などを含有したりする形態的に は 'bipolar neuron' に括られるニューロン群。化学的に多彩なグループでいろいろ なサブグループも存在している。 (3)somatostatin や calbindin を含有するニューロン群で、Martinotti cell が この群に属してくる。一部に neuropeptide Y や nitric oxide synthase などを含 有するサブグループが存在している。 などといったように未だに分類学さえ終ったとは言えない状態です。 4.大脳皮質の局所回路  さて、そうした構成要素によって作られている大脳皮質の局所回路について、私達 の仕事を中心に論じてみましょう。  私達は、この錯綜する皮質の神経回路をなんとか明らかにしようと「From one to many」という戦略を立てて実験しています。電気的な性質と化学的な性質をつきとめ た1個のニューロンを細胞内染色してその皮質内軸索側枝の全体を可視化します。加 えて、何らかの機能で一括りにされるニューロンの一群を、別の手段で、ニューロン の入力部位である樹状突起を末端まで可視化します。こうして1個のニューロンから 1群のニューロンへ、「From one to many」に、神経連絡の様相を研究し、ニューロ ンの組合わせのいろいろなパターンを調べあげようというわけです。こうして、最終 的には皮質内の局所の、すなわちカラムとその近傍のカラムにおける神経回路のデザ インが決定できるであろうと考えています。  この方法にとって、「機能で一括りにされるニューロンの一群を樹状突起を末端ま で可視化できること」が重要なのですが、ここで紹介できるのは皮質の投射ニューロ ンを逆行性標識法によって染め出す手法です。また、現在、遺伝子工学を使って遺伝 子発現により特定される1群のニューロンを樹状突起まで染色する方法を開発してい まして、まだ皮質では成功してはいないのですが、この方法についての試みも紹介し ます。  皮質内の局所回路について、まず興奮性の錐体細胞の連絡を検討してみました。大 脳皮質は6層から構成され、錐体細胞はその主要な構成ニューロンで、皮質全ニュー ロンの60%〜90%に達します。錐体細胞は他の皮質に出力する/。層の錐体細 胞、皮質下の脊髄・脳幹などに出力する」層の錐体細胞、皮質への入力源である視床 へフィードバックする、層の錐体細胞などに分類されます。これらの錐体細胞は皮質 外へ出力するばかりでなく皮質局所に軸索側枝を多数出力し皮質内の情報処理にも重 要な機能を持っていると考えられます。前もって大脳皮質の出力ニューロンを逆行性 に標識したラットの大脳皮質スライス標本を用いて、微小ガラス電極を用いて細胞内 標識をします。固定後、細胞内標識と逆行性標識を染め分けてみますと、/。層の 錐体細胞から」層の皮質脊髄投射ニューロンへの入力は多いが、、層の皮質視床投射 ニューロンへの入力は少ないことがわかりました。また、、層の皮質視床投射ニュー ロン(錐体細胞)への入力の観点から見ると、/。層・」層の錐体細胞からの入力 は少ないが、「層の興奮性ニューロンからの入力は多いことがわかりました。このよ うに、皮質内での興奮性ニューロンの連絡が少しずつわかりはじめています。  現状でわかっていることを中心に、皮質内回路で考えられることを議論する予定です。 5.大脳皮質の神経回路の原則  皮質の構成要素・局所連絡がわかったとして大脳皮質の神経回路の理解について十 分だと言えるでしょうか?もちろん、皮質領野間の階層性によって情報処理のレベル が上昇するあるいは下行するという問題がありますが、ここでは別の側面を強調して おきたいと思います。すなわち、大脳皮質の神経連絡にとって、原則となる以下の3 つのことを視野に入れなくてはなりません。 (1)大脳皮質の各領域はそれぞれ対応する視床核をもっていて、そこから入力を受 け、入力する視床核へ興奮性にフィードバック出力するという極めて密な関係が存在 している。 (2)すべての大脳皮質領域は大脳基底核の線条体に出力する。基底核の演算結果は 主として運動系の皮質領域に視床を介して戻される。 (3)すべての大脳皮質領域は脳幹の橋核を介して小脳に入力する。そしてその演算 結果は、大脳皮質の運動領域に戻ってくる。  このような大脳皮質の連絡の一般原則は、皮質神経回路の特性を考えるときに考慮 から外せません。というのは、皮質局所のニューロン同士の連絡について 2 ~5 msec はかかるのですが、こうした視床・線条体・小脳への入出力も同程度の時間遅れで可 能だからです。つまり、これらの皮質下部位は空間的には遠いのですが、時間的には 皮質内と同程度の距離にあるのです。したがって、大脳皮質で情報処理がなされてそ の結果がこれらの皮質下部位に伝達され、またそれらの部位での情報処理が終ると皮 質の戻されて次のステップに進むというシリアルな描像は正しくないのです。反対に 、皮質で情報処理をしているまさにその時間スケールで並行して処理された情報が皮 質情報処理に影響すると考えなくてはなりません。言い換えれば、皮質とそれに直結 する皮質下部位とを一塊となったダイナミカルなシステムとして捉えなくてはならな いと言うことになります。こういった描像は離れた皮質領域間でも同様に考慮しなけ ればならないでしょう。大脳皮質とそれに直結する神経構造が一塊として作用するか らこそ、私達の脳は巨大なダイナミカルシステムとして統一されて、意識・内的時間 などといったシステムの統一を必要とする「神秘的」機能を実現しているのかも知れま せん。