視覚における脳内表現 小松英彦、 所属 1)岡崎国立共同研究機構生理学研究所、2)総合研究大学院大学生命科学研究科 1. はじめに ニューロンのスパイク頻度を指標として活動をモニターし、単一ニューロンや皮質のある部位がどの ような視覚情報処理に関わっているかを調べる研究が数多く行われてきた。その結果視覚系は並列階 層的に構成された多くの領野から成り立っており、低次の領野から高次の領野に向かうにしたがい受 容野が拡大すると共に、ローカルな特徴からよりグローバルな視覚パターンの検出が行われるという 概念が成立した。このような概念は非常に多くの実証的な研究にもとづくものであり、その内容につ いて正しく理解した上ではじめて何が足りないのかが明らかになるであろう。本当に新しいことをや るためには歴史とその上に成り立つ現状の分析が不可欠である。以下ではこれまでの視覚皮質の構成 についての研究を振り返り、そこから今何が問題になっているかを浮かび上がらせるための思考の断 片をある程度道筋がつくように並べていきたいと思う。 2. これまでの研究 並列階層的な視覚系の概念の成立に関わるいくつかのポイントを以下に列挙する。 a) 大脳皮質で視覚に主に関係する領域は数多くの領野にわけることができる。領野分けの手掛かり となるのは視野再現、ニューロンの応答特性、線維連絡などである。視野再現とは領野内での場所が かわると、受容野の場所が視野の上で規則的に変化し、領野全体で例えば半視野の地図が存在するこ とを指す。 b) 視覚領野は他の領野と結合している。結合(線維連絡)にはそれがどの層の細胞からのびる軸索 か、また軸索が他の領野のどの層に終わるかについて見るとはっきりしたいくつかのパターンがある。 そのパターンにもとづいて前向き(低次から高次へ)、後ろ向き(高次から低次へ)、横向きの投射が 区別され、数多くの領野を階層にならべることができる。 c) 高次視覚連合野の頭頂連合野と下側頭連合野には破壊実験で違う機能の障害が見られる。また視 覚領野の結合関係を見ると頭頂連合野に向かう経路と、下側頭連合野に向かう経路に別れるように見 える。 d) 網膜から一次視覚野(V1)までの視覚経路にははっきりした並列性がある。皮質の上での視覚 経路の並列性はV1までの並列性が単純に延長したものではない。しかし関係はある。 e ) 視覚領野のニューロンの多くは何らかの視覚属性に選択性を示す。すなわち、刺激の他のパラメ ータを固定してあるパラメータ(例えば線分の向き、運動方向など)を変化させた時にニューロンの 応答(スパイク頻度)が有意に変化する。このようなテストができるのは刺激のパラメータが張る空 間が明瞭に定義できる属性ということになる。 f) 上のようなテストをさまざまな領野で行うと、領野によってある属性に選択性を示すニューロン の割り合いは異なることが見られる。そのもっとも顕著な例が色と動きである。 g) 受容野の大きさは高次の領野ほど大きい。しかし一つの領野の内部でも層によって受容野の大き さはかなりばらつきがあるようである。 h) 単純な刺激にはあまり応答せず複雑な刺激パターンによく応答するニューロンが高次領野に見い 出される。 i) ある属性に選択性をもつニューロンが多い領野はその属性の処理に強く関係していることが推測 される。ある領野を破壊したり微小電気刺激を加えて特定の属性の視覚刺激を利用する行動の変容を 見る実験の結果は、そのような推測と矛盾しない。 3. 最近の研究 それでは上のように積み上げられてきた並列階層的な視覚系の枠組みで未解決な問題は何か?そして そのような枠組みから取り残されている大事な問題は何か? a) 情報の変換の問題。低次の領野(例えばV1)でローカルで単純な特徴によく反応し、高次の領 域(例えば下側頭連合野)では複雑なパターンによく反応する。それではその中間でどのような過程 を経て、高次領野のパターン選択性が生じるのか。これはV1以前の同心円型受容野からどのように V1の方位選択性をもつ単純型細胞や複雑型細胞が生じるかという30年間続いている問題と共通し たテーマである。 私自身はパラメータの次元が低くかつ高次領野での表現が重要な役割を果たすと考えられる色につい てこの問題を取り上げて研究を行ってきた。 b) 情報の表現の問題。非常に単純な限定された刺激のある視覚属性に関しては、ニューロンの選択 性からその属性がどのように表現されているかを理解することはできる。しかしこのような選択性は 通常他の属性を固定した単一の刺激を受容野に呈示して得られたものである。複雑な刺激が視野に存 在する自然な条件下で、これらのニューロンがどのように応答するかは実験的にもほとんど手がつけ られていない問題である。 c) 情報の表現の問題。単純なパラメータで表すことが困難な属性に関しては、選択性を調べる事が あまり行われていない。 d) b)に関係する一つの問題は、単純な刺激を用いて行われた実験においても、一つのニューロン がさまざまな刺激の属性に対して選択性をもつことが示されていることである。従ってあるニューロ ンの活動が変化した時、それがどのような刺激の属性の変化によって生じたのかはあいまいである。 そのようなあいまい性をもつニューロンから成り立つ神経回路は、どうやってある属性の情報をうま く取り出しているのだろう。 e)-1 b)の問題を考える上で重要な実験事実は、視覚野のニューロンは受容野から離れた場所の刺激 の影響を受けるということである。ここでいう受容野はニューロンが良く反応する小さな丸や四角の 刺激あるいは正弦波格子を用いて、ニューロンが反応する視野の範囲として求められたものを指す。 このように求められた受容野を古典的受容野とよぶ。 e)-2 周辺刺激のもつどのような特性が古典的受容野内の刺激に影響を与えるのかという問題がある。 周辺刺激のある特性によって系統的に影響が生じるとすれば、例えばV1のようにローカルな情報し か持たないと思われていた場所に、グローバルな情報がもたらされており、その影響をうけてV1ニ ューロンの活動が変化していることを意味する。そのような事を示唆する実験結果がある。このよう な周辺刺激のもつ情報によると考えられる初期視覚野の活動の変容は文脈依存的修飾とよばれる。文 脈依存的修飾がどのような要因で引き起こされているかについては十分な検証が必要である。 g) 視野の上で視覚特徴は離散的にしか検出されない。その間の視野の場所では特徴を補間したよう に知覚が生じる。この端的な表われが主観的輪郭や充填と呼ばれる知覚現象である。視野に対応する 地図をもつ視覚皮質でも情報の補間は生じるのか。私自身はV1の盲点に対応する視野を表現してい る場所で、充填知覚時にどのような活動が生じるかを調べてきた。 h) f、gと関係のある問題であるが、視野の離れた場所で検出された特徴が同じ起原(物体など)に 由来するのか違うのかを区別することは、シーンを分析する上で重要だろう。高次領野で見られる複 雑な選択性を形成する上でも、同じ起原に由来する特徴同士をつなぎ合わせなければいけない。初期 視覚野でこのような視野上で空間的な情報の結び付け(統合)はどのように行われるのだろう。 i) また並列階層的な構成をもつ視覚経路で別々の場所で取り出された情報(例えば色と動き)を組 み合わすのはどのようにして行われるのだろう。 j) hやiであげた特徴の結び付けにスパイクのタイミングや位相が関与していることを示唆する結果 とこれを否定する結果が報告されているが、どちらが正しいのだろう。なぜそのような矛盾が生じる のだろう。またもしスパイクのタイミングがそろっていることが見られたとして、それが結び付けと 因果関係をもつことをどのように証明したらよいのだろう。 参考文献 1. 小松英彦 視知覚における脳のダイナミクス、日本神経回路学会誌 5: 178-184, 1998. 2. 小松英彦 視知覚の脳内表現、生物物理 34:202-208, 1994. 3. 小松英彦 サルの色覚情報処理、電気学会光計測・視覚計測合同研究会資料LAV-99-1、1-6, 1999. 4. Maunsell J.H.R. and Newsome, W.T. Visual processing in monkey extrastriate cortex, Annu. Rev. Neurosci., 10: 363-401, 1987. 5. Schiller P.H. and Logothetis N.K. The color-opponent and broad-band channels of the primary visual system, Trends in Neurosci., 13: 392-398, 1990. 6. Schiller P.H. On the specificity of neurons and visual areas. Behav. Brain Res. 76: 21-35, 1996. 7. Zipser K., Lamme A.F. and Schiller P.H. Contextual modulation in primary visual cortex, J. Neurosci. 15: 7376-7389, 1996.