初日:プロローグ 担当:銅谷賢治・村田昇 1.神経情報科学サマースクールのねらい  神経情報科学サマースクールの大きななねらいは、従来よくあるような、ひたすら 現象を追い求める実験、脳の実体をさておいた理論にとどまらず、実験家と理論家が 真の意味での共同作業を行うための基盤を作り、理論のわかる実験家、実験のできる 理論家を育てて行こうというものである。  もちろんこれを体系的にやるのは非常に大変な話であるが、今回の6日間のスクー ルは、「大脳皮質の情報表現」に的をしぼり、その中で、様々な実験的知見と、理論 モデルによる予測がどのようにかみ合い、また数理的解析手法がどのように生かされ 得るかを検討し、今後どのようなアプローチが必要なのか考える中で、そのような基 盤作りに貢献したいと考えている。 2.スクールのテーマについて  大脳皮質における情報表現の古典的モデルは、Huebel and Wieselによって示され たように、コラム状に集まった細胞集団が、特定の特徴、例えば視覚野でいえば特定 の向きの線分を検出し、さらに高次の領野の細胞はそれらの組合わせにより、より複 雑で選択性の高い特性を持つようになるというものである。  このようなモデルは、大脳皮質のフィードフォーワード的階層構造に着目したもの であるが、最近では、視覚野の細胞の応答が、受容野の外側に提示された視覚刺激や、 行動課題に応じたトップダウン的な注意信号によって変化することが示されている。 このことは、単純にボトムアップ的な信号の流れだけではなく、各領野内の側方向の 相互結合、あるいは領野間のフィードバック結合によるダイナミクスが、大脳皮質の 情報処理において重要な役割を果たしていることを示唆している。  スクール2日目、3日目では、このような大脳皮質の細胞のダイナミックな振る舞 いが、情報理論や統計的推定の理論モデルから予測される特性とどこまで整合するの かを検討する。  また、神経細胞の活動の解析は、多くの場合数十ミリ秒の間の平均スパイク発火頻 度をもとにしたもであり、個々のスパイクのミリ秒レベルでのタイミングは捨象され ている。しかし近年、複数の細胞の活動の同時記録の結果から、スパイク発火のタイ ミングの中にこそ豊かな情報がコードされているという考え方が注目を集めている。  スクール4日目、5日目では、大脳皮質の細胞と回路のダイナミクスと、そこから 生まれる同期/非同期現象が情報処理にいかに生かされ得るか、さらに多細胞同時記 録データを読み解くための実験的、理論的手法について検討する。  最終日には、以上見てきた実験的知見、理論モデル、解析手法をもとに、これから どんな実験的、理論的アプローチが必要かに関して、各自の興味をもとに、仮想的な 研究計画という形で総合討論を行う。 3.初日のテーマ  以上ざっと紹介したような内容の理解を促し、実のある討論を実現するために、多 様なバックグラウンドを持つ参加者の、知識のベースラインを揃えることが初日の講 義の目的である。  まず、「脳の情報表現」では、大脳皮質の脳全体の中での位置づけを概観した上で、 発火率とタイミングによる情報表現の仮説をレビューし、いくつかの代表的な神経細 胞モデルについて紹介する。続いて「数学的準備体操」では、エントロピー、情報量、 統計的推定など、2日目以降登場する数理的基礎概念に関して、具体的な神経回路モ デルでの計算実習を交えながら親しんでもらいたい。