深井朋樹、東海大学工学部 1. はじめに  高度で柔軟な脳の情報処理機能を支える重要な柱の一つは学習能力であろう。学習を可能にしてい るものは、ニューロンの回路網がシナプス結合を活動状況に応じて変化させる能力であると広く考え られている。Hebbにより、シナプス前とシナプス後ニューロン間の結合は活動間の相関に依存して変 化するという、いわゆる「使用度依存のシナプス可塑性」という考えが提唱されてからほぼ半世紀を 経た。この提案はその後多くの実験事実により支持されることとなり、またこの「Hebb則」に基づい た様々な生物学的、工学的神経回路モデルが提出され、それなりに成功を収めてきた。しかしながら、 シナプス結合部位での信号伝達や可塑性の神経機構に関してはまだ不明な点が多く、またシナプス可 塑性が実際の行動レベルでの学習に直接的関係を持つかという点に関してもいろいろと議論がある。  従来、シナプス結合はニューロン発火の典型的な時間スケール(ミリ秒〜百ミリ秒)ぐらいでは十 分静的であると考えられてモデル化されて来た。しかし大脳皮質の錐体細胞間などでは必ずしもそう ではないことが明らかになってきた。これらのシナプスには、シナプス前バースト発火に対してシナ プス後電位(EPSP)の振幅が急速に減衰するタイプのものがあり、減衰シナプス(depressing synapses)、あるいは逆に急速な増強を示すものまで含めダイナミック・シナプス(dynamic synapses) などと呼ばれている[1,2,3,4]。この減衰は急速な可塑的変化により効率が変えられる結果ではなく、 シナプス前から放出された伝達物質の回収が高頻度のシナプス入力に対して間に合わないことから起 こるものと考えられている。従って長くとも一秒程度の間次のスパイク入力がなければ、効率はもと のレベルにまで回復する。また減衰中の振幅の漸近値が入力の発火率に逆比例することから、減衰シ ナプスではシナプス前の定常的な発火率の情報が(特に高発火率の側で)伝達されない可能性が高い。 このことは、発火率による情報コーディングという神経科学の伝統的ドグマの範疇には入らない情報 処理が為されていることを示唆するかもしれない。  シナプスでの時間的・動的情報処理を示唆する事実は減衰シナプスだけではない。もう一つ別の実 験結果を議論しよう。従来さまざまな実験により、海馬や大脳皮質錐体細胞のシナプスなどでは100Hz 程度の高頻度連続スパイク刺激を1秒程度送れば長期増強(LTP)が起こり、逆に1Hz程度の低頻度の 刺激を数分送ると長期抑圧(LTD)が起こることが報告されている。このことから活動中の脳に於いて も、シナプスにおいてLTPとLTDが入力の発火率に直接に依存したプロトコルによっての切り替わ るものと考えられてきた。しかし2年ほど前に、LTPやLTDがシナプス前スパイク(正確にはEPSP の発生)とシナプス後ニューロンの発火のミリ秒単位での時間差に依存して切り替わることが報告さ れた[5]。最近ではこの時間差と効率変化との詳細な関係なども海馬錐体細胞のシナプスなどで正確に 決められている[6]。もしもシナプス前およびシナプス後細胞の発火率だけが重要な量であるならば、 このような短い時間スケールでシナプス結合が修整されねばならない理由はない。このスパイク時間 に依存したHebb学習則は、シナプス後ニューロンによる入力の同期検出を容易にするために用意 されていると考えることが、おそらく最も自然であろう。  本講義では以上に述べたような実験事実の紹介に加え、このようなスパイク時間に依存した神経機 構を用いた場合どのような情報処理が出来るのかという点に関して、私自身や他の研究者によるモデ ル研究の結果を踏まえて議論したい。 2. これまでの研究  シナプス効率の短時間での減衰に関しては以前にも報告がなかったわけではない。しかしながら近 年の減衰シナプスでの信号伝達に関する一連の研究は、先に述べた二つの論文[1,2]に始まったと考え て良いだろう。これらの論文と文献[3]には、信号伝達の減衰過程に関する基本的な実験事実と、それ らの実験結果に基づくシナプスでの信号処理に関する数学的モデルが論じられている。基礎知識とし て先ずこれらの点について講義する。  次に視覚系や聴覚系での球心性入力の情報処理において、減衰シナプスの機能的な役割を論じたモ デルを紹介する。減衰シナプスが存在すると膜電位のダイナミクスとシナプス伝達のダイナミクスと が連動するために、V1の単純細胞などの時間的応答特性が大きな影響を受けることになる。これは単 純細胞の時空間受容野形成にも大きな影響を残し、例えば周波数応答特性の帯域通過特性、シナプス 入力積算の非線形特性、応答の位相のコントラスト依存な変化特性など、多くの点で実験結果と一致 する結果を与える[7,8]。また聴覚野ニューロンでは、平均発火率は変化しないが相互相関(同期性) が時間的に変化するような球心性入力が検出されている可能性が示唆されている。このような入力の 同期検出を減衰シナプスを用いて行う枠組みが提案されているが[9]、近年同期的神経発火の重要性が 様々な実験によって示唆されていることからもこの結果には関心がもたれる。そこで同期入力検出に おいて減衰シナプスの果たす機能的役割を議論する。  また、多数のニューロンから入力を受ける大脳皮質ニューロンが入力間の相関性を正しく聞き取る ためには、個々の入力に内包される自己相関成分を効果的に取り除いておくことが必要になるかもし れない。このような相関成分を減衰シナプスによって除去する可能性なども理論的に示唆され、減衰 シナプスの一般的な機能的役割として提案されているので、講義の中で紹介したい[10].  次に、後の私自身の仕事にも関係する、スパイク時間差に基づいたシナプス可塑性に関する実験結 果を紹介する[5,6]。先に述べたように錐体細胞間の興奮性シナプス結合では、シナプス前ニューロン からの入力によるEPSPの誘起と、シナプス後ニューロンのスパイク発火の時間差で、LTPとLTDが 切り替わる。すなわち、EPSPの誘起に続いてシナプス後ニューロンが発火する場合にはLTPが起こ り(シナプス入力とスパイク発火との間には形式的因果性があると見なせる)、時間関係が逆転すると LTDが起こる。但し、いずれの場合も可塑的変化が起こるのは時間差が数十ミリ秒を越えない場合だ けである。一つのニューロンは多数の他のニューロンから入力を受けて活動すると考えられるが、図 3に示されたような興奮性シナプスの性質は、多数のシナプスからの入力のうち同期性の高い入力を 選択するのに有用であることが期待される。時間が許せば、この種の学習を用いて<ミリ秒以下>の精 度での同期検出を可能にしたモデルを紹介する[11]。これはフクロウの聴覚野ニューロンによる音源 定位の問題(驚くべき空間的解像度窓が実現されている)に対して、一つのスマートな解答を与えて いる。 3. 最近の研究(私自身の研究を中心に)  以上紹介したモデルは、どれも球心性結合に減衰シナプスがある場合の単一シナプス後ニューロン による入力刺激の解析を議論したものである。これらは生体内での神経情報処理の基礎ではあるが、 実験では非常に近い錐体細胞間の結合にも減衰シナプスが見つかっており、リカレントな相互結合が 減衰シナプスにより伝達される場合にどのような情報処理が可能になるかが次の問題として出てくる。 容易に想像がつくことは、シナプス効率の減衰が神経ネットワークの活動度の上昇に対して抑制のフ ィードバックとして働くため、活動が振動的になることである。実際このような機構に従うと考えら れる振動活動は脊椎神経細胞のネットワークに見つかっており[12,13]、モデルも提案されている[14]。 またこの機構は大脳皮質において神経ネットワークの活動度を適度なレベルに調節する機構を与えて いるかもしれない[15]。ここでは振動的な活動の時間的情報表現に一歩踏み込んで、リカレント結合 における減衰シナプスの可能な機能的役割を提案した我々自身の最近の仕事に触れておきたい。  先にも述べたように減衰シナプスは定常的なシナプス前活動の発火率情報をシナプス後ニューロン に伝達せず、この性質によりテンポラル・コーディングへの関与が示唆された[16]。一口にテンポラ ル・コーディングとは言っても様々な可能性が考えられるが、神経活動の同期性が重要であるらしい ことに鑑みると、同期の時空間パターンに何かしらかの情報が表現されている可能性が考えられる。 しかし一般に時間的コーディングは生体内に存在するノイズの影響を受けやすいものと考えられ、こ の同期パターンによる情報表現がどの程度ノイズに対して安定であるかは、時間的コーディングの枠 組みの現実性を考える上で重要なポイントになる。最近私たちの研究グループは、興奮性ニューロン と抑制性ニューロンから成る簡単な神経回路網で、刺激依存に起こる同期発火の時間的パターンが、 減衰シナプスの働きにより入力スパイク列の数ミリ秒程度の時間揺らぎに対して安定に出来ることを 見いだした[17]。また時間差依存のHebb則は、神経回路が入力スパイクの時間的揺らぎに対してあ る程度安定な時間パターンで同期する場合に限り(つまり減衰シナプスと共に働く場合に限り)、発火 の同期性を向上させてより安定な同期パターンに導き得ることがシミュレーションの結果から明ら かになった。ここで本質的なことは、同期発火によりリカレント結合の減衰シナプスが回路全体で 同期的に減衰を受けることであった。シナプスが減衰している間はニューロンは相互結合のない独立 した素子として働き従って同期発火も起きない。一方で減衰期の効率の単調な回復は、確実に次の 同期発火の生成へとニューロン群を導く。そのため安定な同期発火パターンを生成することが可能に なる。このような同期発火パターンはパターン検出の際の時間解像度が20〜30ミリ秒程度であれ ば、入力の識別に十分な正確さが保証されることも示唆された。 4 おわりに  私感になるが、単一ニューロンは電気的・化学的に見てかなり精巧に出来た情報処理ユニットであ るという印象を深めている。シナプスでの信号伝達や学習機構(可塑性)にしても、まだまだ我々の 想像していないような重要な機能的働きが隠されているように思う。いわゆる2値ニューロンは数学 的・物理的解析や工学的応用に向いているし、ネットワークにそれなりに高度な計算能力を発揮させ ることも、神経科学上の実験的知見をそこそこ説明するモデルを作ることも可能にする。しかしなが ら、簡単な機能しか持たない情報処理ユニットの集団と、それ自身複雑な調整を受け相当の処理能力 を発揮するユニットのネットワークの計算能力とでは、自ずと限界に差もあろう。その辺の違いを見 極めるためには、それなりの理論的武装も必要であるが、実験とモデルの相互協力も欠かせない。脳 科学、または脳工学が発展するためには、そのような二人三脚的研究に積極果敢に参加できる理論と 実験両サイドの研究者が必要であると思うのだが、皆さんはいかがお考えになるだろうか。  本講義の全体を貫くキーワードを探すとすれば、それは神経活動の同期性であろう。同期性がもし 必要であったとすればそれは何の故にであろうか。その答えはまだ見つかっていないが、一つには複 数の神経細胞を当面の情報処理の必要性に応じて機能的に結びつけたり、結びつきを解いたりするこ との必要性のためではないかと考えられている。このような話をすると、いわゆるバインディング問 題との関連性が頭に浮かび、ニューロン活動間の同期を観察するのは結局ニューロン自体か我々か、 といった「哲学的」議論に入り込んでしまう危険性があるが、もっと実際的にダイナミカルな状態と して多様な同期状態を一つのネットワーク内で実現出来るのかという点にまず着目すべきであろう。 従来神経ネットワークモデルでは、多様な情報処理をいろいろな学習則を適用することで人工的に実 現してきた。学習はもちろん脳にとっても脳的情報処理機械にとっても重要である。しかし学習がシ ナプス効率の長期的変化により実現するとすれば、脳の情報処理のもう一つの特徴と言える、新たな 課題への迅速な対応や、学習した課題などの素早い組み合わせなどはどのようにして可能になるの であろうか。個人的にはこのような機能要素の迅速な結びつきを可能にするものが、同期による情報 コーディングではないかと考えている。  しかしここでも言うは易し、行うは難しである。機能的結合ということが良く言われるが、あるニ ューロンが別のニューロンと機能的結合を持つ、つまり他の複数ニューロンをリクルートして標的ニ ューロンの発火を引き起こすような場合、同期発火の安定性を確保するためには、これらのグループ 内には上述のモデルのような平均場的相互結合が必要になるだろう。しかしそのような結合は同期発 火する神経細胞群の機能的組み替えを困難にしはしないか。またもう少し問題を簡単にして、ここで 扱った時間的な同期パターン生成を時空間同期パターン生成にまで拡張する場合、その活動パターン をノイズに対して安定にするためには減衰シナプスを仮定するだけでは十分ではない。同期したニュ ーロン間ではシナプスの同期的減衰が起こるが、同期に参加しなかったニューロンからはいつでもノ イズが乗った入力が入り得るからである。  先にも述べたように同期という考え方には脳による素早い行動や注意の切り替えを説明する鍵があ るように思われる。本講義で触れることは出来ないだろうが、現在大脳前頭葉皮質や大脳基底核によ る運動時系列の計画や実行の問題に対して、実験と協力しながら研究を進めている(平成10年度戦 略的基礎研究:時間的情報処理の神経基盤とモデル化)。それは、様々な可能性のなかから一つの運動 プランを選択して実行、または修整していく神経過程に、上に述べたような柔軟な情報コーディング を可能にする神経基盤の本質が凝縮しているのではないかと考えるからである。  上述の内容は90分程度の講義としては少し欲張りすぎている気もするので、実際に予定した内容 を全て話すことが出来るかどうかはわからない。ここで述べた話題をご存じない方は下に挙げた参考 文献中、[1],[2],[5]程度には目を通されることを勧める。 参考文献 [1] Markram H & Tsodyks M (1996) Redistribution of synaptic efficacy between neocortical pyramidal neurons. Nature 382: 807-810. [2] Abbott LF, Valera JA, Sen K, Nelson SB (1997) Synaptic depression and cortical gain control. Science 275: 220-224. [3] Tsodyks M and Markram H (1997) The neural code between neocortical pyramidal neurons depends on neurotransmitter release probability. Proc. Natl. Acad. Sci. USA 94: 719-723. [4] Markram H, Wang Y and Tsodyks M (1998) Differential signaling via the same axon of neocortical pyramidal neurons. Proc. Natl. Acad. Sci. USA 95: 5323-5328. [5] Markram, H., L bke, J., Frotscher, M., & Sakmann, B. (1997) Regulation of synaptic efficacy by coincidence of postsynaptic APs and EPSPs. Science 275: 213-215. [6] Bi, G-q., & Poo, M-m. (1998) Synaptic modifications in cultured hippocampal neurons: dependence on spike timing, synaptic strength, and postsynaptic cell type. J Neurosci. 18: 10464-10472. [7] Chance FS, Nelson SB and Abbott LF (1998) Synaptic depression and the temporal response characteristcs of V1 cells. J. Neurosci. 18: 4785-4799. [8] Artun B, Shouval HZ and Cooper LN (1998) The effect of dynamic synapses on spatiotemporal receptive fields in visual cortex. Proc. Natl. Acad. Sci. USA 95: 11999-12003. [9] Senn W, Segev I and Tsodyks M (1998) Reading neuronal synchrony with depressing synapses. Neural Computation 10: 815-819. [10] Goldman MS, Nelson SB and Abbott LF (1999) Decorrelation of spike trains by synaptic depression. Neurocomputing (in press) [11] Gerstner W, Kempter R, van Hemmen JL and Wagner H (1996) A neuronal learning rule for sub-millisecond temporal coding. Nature 383: 76-78. [12] O'Donovan, M., Sernagor, E., Sholomenko, G., Ho, S., Antal, M., & Yee, W. (1992) Development of spinal motor networks in the chick embryo. J. Exp. Zoology 261:261-273. [13] Streit, J., Spenger, C., & Luscher, H.-R. (1992) Depression of postsynaptic potentials by high-frequency stimulation in embryonic motoneurons grown in the spinal code slice cultures. J. Neurophysiol. 68: 1793-1803. [14] Senn W, Wyler K, Streit J, Larkum M, L scher H-R, Mey H, M ller L, Strainhauser D, Vogt K, & Wannier Th (1996) Dynamics of a random neural network with synaptic depression. Neural Network 9: 575-588. [15] Galarreta W and Hestrin S (1998) Frequency-dependent synaptic depression and the balance of excitation and inhibition in the neocortex. Nature Neurosci. 1: 587-594. [16] Zador, A.M., & Dobrunz, L.E. (1997) Dynamic synapses in the cortex. Neuron 19: 1-4. [17] Fukai T and Kanemura S (1999) Precisely-timed transient synchronization by depressing synapses. submitted for publication.